「交通ルールを守らなくてはならない」とか「違反は違反だ」というようなセリフを、主に自分の頭では思考が出来ない人間から聞く事があるのですが、果たして本当にそうなのでしょうか?
我々は日々道交法違反容疑で警察による理不尽な検挙を受けるわけですが、そもそもこの道路交通法の内容は、民意を反映し、民主的に作られた法律なのでしょうか?
欧米では「マジョリティ・ルール」という考え方があり、8割の人間が危険だと考えるラインから先が違反、としています。そんなわけで欧米の幹線道路の多くは80km/h制限または50mph制限になっているのですが、ニホンでも片側2車線以上ある国道などを見ると、概ね80km/h程度で流れています。多くの良識的な人間にとっては、一般道を80km/h以上で走行するのはちょっと危ないと感じるという事です。欧米の高速道路は概ね120〜130km/h制限で、ドイツのアウトバーンに至っては制限速度なしの区間と180km/h制限程度の区間ばかりです。
で、ニホンではそんな国道が60km/h制限(下手をすると50km/h制限)で、高速道は100km/h(下手をすると80km/h)が上限なのですが、マジョリティ・ルールに当てはめて考えた時に、東名高速や首都高湾岸線を100km/hで走って「これ以上は危険だ」と考えるドライバーは何割くらいいるのでしょうね?
私の予想では2割もいないと思います。そして、湾岸線で100km/h以上は危険だと感じる程度の運転技術しかないのであれば、そもそも自動車を運転しようとする行為自体が危険だと思います。ドイツ車などは200km/hで走行しても安定するように作られているのに、ニホンでは100km/h越したら即危険、なわけがないんですがね。
ルール自体がおかしな時に、それでも守ろうとしてしまうのがこのクニの庶民の良い所でもあり弱点でもあるわけです。私はニホンからすれば極悪非道な人間なので、普段車を運転していても、速度制限など気にもかけずに周囲の流れに合わせた運転をしています。検挙されない為に一時停止は守っていますが、正直言って踏切の一時停止義務が踏切渋滞の原因になっている場面をよく目にします。危険性を考えれば、「踏切内で停車したら違反」ならばわかるのですが、踏切手前で一時停止した所で、前が詰まっているのに突っ込むバカは突っ込むわけですから、「踏切内は停車厳禁」とだけしておけば、あんな無意味な渋滞は起きないと思うわけです。
そんな日本では「悪法も法なり」というソクラテスの言葉が引用されて、「それでもルールを守れ」みたいな論調が張られるのですが、その論理自体がミスリードであるとするツイッターを見掛けたのでここに引用します。
(以下引用)
『悪法も法なり』は日本人を奴隷化するためのウソ
http://togetter.com/li/402205
現在も学校教育では、ソクラテスが「悪法もまた法なり」と言って毒杯を口にしてで死んだ、
という全く根拠のない虚構ともいうべき作り話を教えている。
しかしソクラテスが言ったのは「自分の哲学に殉じて死を選ぼう」という意味で、
それは「悪法も法なり」とは完全に真逆の意味だ。
西洋では
「確かに悪法も法ではある。しかし?法だからといって従うべきではない”」
と教えているのである。
ソクラテスが言ったといわれる この「悪法も法なり」という台詞は、
この国の教科書より以外では どこにも書かれていない大ウソである。
支配統制をする者達が、都合の良いように意味を変え、
ソクラテスの思想を完全に真逆として 無視し侮辱すらしている言語道断の誤訳である。
「奴隷化する」為の仕掛けだ。
http://twitter.com/world420/status/265109308927270912
よくよく考えれば、あのソクラテスが「悪法も法なり」みたいな奴隷的発想をするわけがないんだよな。
実際には「自分の哲学に従え」って真逆のことを言っていたのである。
この件は一体どれだけ悪質なウソだよ と思う。
奴隷を造る為には何でもアリなんだな、学校教育は。
http://twitter.com/world420/status/265117936677711872
自分以外の誰かの言いなりになることが普通だと思っている、
他人の決めたルールに従うのが常識だと思っている
そんな殆どの「日本人」には「悪法も法なり」という考え方の自体が、
そもそもに奴隷的発想だという事も分からないだろう。
あのソクラテスが“他人のルールに従うことを良し”とする台詞などは、絶対に吐かないよね。
http://twitter.com/world420/status/265367658814382080
西洋では「悪法も法ではあるが?法だからといって従うべきではない″」と教えている。
日本人には信じられないだろう。
なぜなら、この国の教育は
人々から思考力や判断力を奪うものでしかなく
「個人が思想を持つこと」を許さないからだ。
国民は奴隷、良く言っても禁治産者としか見なされていない。
(引用終わり)
ニホンではこのような「意図的な誤訳」がよく見られるのですが、原文を読んでみると、尖閣・竹島・北方領土の帰属問題にしても、「我が国固有の領土である」なんて主張は噴飯ものでしかない事がわかると思います。領土などは周辺諸国とのパワーバランスや交渉の末に決まるものであって、「固有の」なんて主張自体が失当なのです。江戸時代までは沖縄も北海道も江戸幕府の管轄外でした。北海道がニホンになってからたったの150年しか経っていないのに、その先にある北方領土が「固有の領土」ってのはどういう理屈なのでしょうか?このニホンの歴史が150年しかないと主張しているのでしょうか?
私は領土や主権を主張するなと言っているのではないのです。領土問題は外交問題であり、特に北海道・本州・四国・九州以外の島々の帰属問題は、講和条約によって「連合国がこれを決める」となっているのですから、戦勝国である連合国へのロビー活動を通して、周辺諸国に認めてもらうしかない問題なのです。それをしないで国防軍だの核武装だの言っても、それではどっかの北朝鮮と変わらないレベルの軍事カルト国家でしかありません。
話が逸れましたが、道路交通法そのものも含めて、「法を守るかどうかは自分で決めろ。悪法ならば守らない勇気を。」という事を私は言いたいのです。警察の検挙ポイントだけが40km/h制限になっている環七なども、実勢速度は70〜80km/hで流れているわけですが、そこで40km/hビタで走る事が、本当に「安全かつ円滑な交通の維持」に繋がるのでしょうか?見通しの良い片側2車線、しかも歩道はガードレールで分離されているような場所を40km/h制限にしている警察&公安委員会の方が狂っているのであって、そこでヤクザ暴力団でしかない警察の末端構成員が、通行料を払えと取締りをしているからと言って、それに唯々諾々と応じるのが「大人の対応」だとでも言うのでしょうか?
せっかくこのブログに出会った方には、自分の頭で考える勇気を持っていただきたいなと思っています。
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